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アメリカ人に響く英語表現 - こそあど言葉と、You I We

どの言語にも「キラーセンテンス」が存在する。直訳すると「殺し文句」であるが、ここでは「簡単な単語で、幅広い場面で使える便利な表現」と「非常に合理的かつ例外のない美しい文法構造をもっており、かつ便利な表現」の二つのことについて述べる。

たとえば、前者に該当する日本語「すみません」をあげてみよう。
「すみません」は、実にいろんな場面で使える。謝るだけでなく、町中で知らない人に声をかけたり、感謝を伝えることもできる。外国人が「ありがとう」や「こんにちは」の代わりに、ちょっとお辞儀しながら「すみません」を使っていたら、「むむ、できるやつ」と思われるに違いない。とても日本らしい表現だと思う。

さて、本稿の本題は、後者のほうである。日本語の「こそあど」言葉は、日本語のなかでもその文法的な美しさが際だっている。これを学んだときは、ほれぼれした。他の言語にも似たようなものがあるのはどうかは知らないが、この便利さ、文法的な美しさは並大抵ではない。コソアドだけで会話は成り立つ。
「あれ、あれだよ」
「え、どれ? あ、あれね? これがねえ」
「うん、それそれ」
みたいな感じ。
コソアドを整理してみる。
こ 近称  自分が指さす範囲のもの
そ 中称  相手が指さす範囲のあるもの
あ 遠称  第3者の範囲にあるもの
ど 不定称 範囲が分からないもの

指示 形容 場所  人        方向  態様   感情?
これ この ここ  こいつ(こなた) こっち こんな  こら 
それ その そこ  そいつ(そなた) そっち あんな  そら 
あれ あの あそこ あいつ(あなた) あっち あんな  あら 
どれ どの どこ  どいつ(どなた) どっち どんな  どら 

コソアドが、指示、形容、場所、人、方向、態様の距離感を表すのに便利で合理的な構造を持つことは明らかである。また、上記の会話のようにうまく使うことで日本人にさまざまな想像をかき立てる。
じつに奥の深い言葉だ。梅田望夫氏が、Web2.0を「あちら側」、それ以外を「こちら側」と呼んで物議を醸したのも、この言葉が明確な帰属意識を聞く人に与えるからに他ならない。「おまえはあっち」というのはいじめの常套句だ。たぶん、梅田氏の中ではいままで、Web2.0は、「どっち側」か分からなかったのだが、最近はっきりして「あっち」であることが明らかになってきたので、本を書いたんじゃなかろうか。しかし、Web2.0がすでに「こっち」にある人にとってはこの本は意味がなく、「あっち」にある人はいつまでたっても「あっち」であり、「そっち」にある人には、「こっち」にいくか「あっち」にいくか判断を迫ることになっただろう。

次に具体的事例を見てみる。たとえば、ビールの宣伝。
「やっぱりこの味アサヒスーパードライ
「いつも飲んでるあのビール、家には常備しておきたい」
「やっぱりこれからの季節はスーパードライだなっ!!」

「この味」、「あのビール」「これからの季節」などコソアドが大活躍している。ここでのコソアドは、続く名詞の想像をかき立てる役割をしている。しかし、特に意味がないことは明らかだ。「これからの季節」なんて、一年中通用する。「この味」も他社のビールだって「この味」がするだろう。コソアドの魔力である。


本題に戻そう。コソアドは、文法が美しいだけでなく、便利であり、この言葉が日本人の生活や価値観と強く結びついていることは想像に難くない。
さて、わたしはこのコソアドにかわる語感をもつ表現を英語に探していた。それが「WeとYouとI」である。なんだそんなことかと思われるかもしれないが、これに気がついて私は目から鱗が落ちた。ぱあっと自分の中の英語の言語空間が豊かになって、より愛着が沸いた。

いままで、英語のWeとYouとI(とくにYouとI)は省略できず、意味もなくつけないといけないという点に、堅苦しく、無味乾燥な印象をもってきた。しかし、いま、WeとYouとIは人称代名詞であるが、ほとんど日本語の指示詞(コソアド)のように使えばよいということが分かった。さらにWeとYouとIをコソアドに対訳するとぴたっと当てはまる。
これに気がついたきっかけは、マーケティングの用語として、アメリカ人からやたらと「You」を使えと言われてきたからである。「You」があると言葉が力強くなる、と。確かに事例はいくらでもある。
「Your potential, Our passion」 Microsoft
「Broadcast yourself」 YouTube
「Drive your dreams」 TOYOTA

これを私の考案した対訳を当てはめるとこうなる。
I か We : こ 近称  自分が指さす範囲のもの
You :  そ 中称  相手が指さす範囲のあるもの もしくは
     あ 遠称  第3者の範囲にあるもの

たとえば、マイクロソフトのキャッチはこう訳す
「あの理想、この情熱」
Youtubeなら
「あの放送を自分自身で」
TOYOTAなら
「あの夢に乗ろう」
だ。
「あの理想」と言われると、昔抱いていた大きくて甘酸っぱい夢が喚起されるだろう。「あの放送」と言われれば、テレビの放送のような大手の立派な放送が想起させる。それが「You」の力である。「想像喚起力」と言ってもいい。

これを
「あなたがたの理想、私たちの情熱」
「自分自身を放送しよう」
「あなたの夢に乗ろう」
では、残念ながら不合格。先のアサヒビールのキャッチコピーを思い出してほしい。

結論。英語の人称代名詞の語感は、日本語のコソアドのそれを重なる。すなわち、どちらも、話者と対象の距離感を表すための言葉である。しかし、ここでさらに雑な議論をするならば、コソアドは4段階であり、英語のWe You Iはほぼ2段階しかないということ。このあたりは、英語の善悪史観や、世界をWeかYouにわける発想にもつながっているのかもしれない。

たとえば、Bushの悪名高きイラク戦争の宣戦布告演説
"You're either with us or against us."
は「こっちにつくのか、あっちにつくのか」であり
Obamaの勝利演説
"We are , and always will be , the United States of America"
は「ここは、これからもずっと合衆国だ」
が適当となる。この先は暴論となるのでこのあたりでやめておこう。

なお、Youには、一般的な事柄について語るとき使う"Geeric You"というものがある。Youがより広い意味を持つことがわかる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Generic_you


念のため、本稿は、どんな場合でもYou I Weをコソアドで訳せということを述べているわけではない。
またおそらく多くの訳者はすでにこのように訳していると思うので、なにを今更という人もいるだろう。ただ、英文に欠かせないこれらの人称代名詞の語感を日本語のコソアド(とくに、人、方向以外)に対応させる文献が見あたらなかったので、書いてみた。

追記

翻訳訳語辞典(http://www.dictjuggler.net/yakugo/data/000/796/f75.html)で、
you're wrong: それは違う
という訳を見つけた。そうそう、that's wrong とyou're wrongはほとんど同じなんですよね。「君は違う」じゃなくて、「それは違う」と訳すのが適当ですね。