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資本主義と人間性 - ビジョンと人情、どっちが大事?

資本主義が牙をむいている。
失業が広がり、暗いニュースが伝えられ、不安と不満が社会全体を覆う。
景気が悪くなると、資本主義は、合理性を盾に人情を蹴散らしていく。こういうときに共産主義や人情もののストーリーに人気が集まるのもおもしろいことだ。歴史は繰り返す、と思う。

人間は超合理的な資本主義マシーンにはできていない。働く意味を見いださないといけない。それが家族のためであれ、仕事がおもしろいと感じるからであれ、野望のためであれ、だ。金は手段でしかない。

僕は、大学で半分体育会系のクラブに属していたので、人情による人間組織というものがわかる。人間関係は、お互いにクラブ員に対して与えあう恩とその恩返しの情によって結ばれる。新米は、飯をおごってもらったり、失敗をフォローしてもらったり、技術を教えてもらったり、先輩の世話になりっぱなしで、年長になるとお世話になったクラブのために、何かしなければならないという思いに駆られる。そこは人情の世界だ。しかもお金が絡むビジネスじゃない。OBとも世代を超えて強い紐帯で結ばれる。だから、学生時代の人間関係というのは打算のない、無垢で純粋なよい思い出として記憶に残っている。

一方、僕はよく、シリコンバレーのソフト開発の会社では、たとえば、ソフトの開発言語をPerlからRubyに変えるとき、社員を再教育することを考えずにPerl部隊を全員首にして、Rubyの人材を募集すると言って賞賛する。しかし、それは非人間的というより、どんな手段よりも速く変革を成し遂げるシリコンバレー流のやり方で、かつ社会がそれを許容する「強い個人」によって構成されているからこそ実現できると思っている。

大学時代のクラブの人間関係に望郷の念をいだきつつ、シリコンバレー流も正しいと思う。
シリコンバレー流が、米国社会の合意を得られる理由は、なんだろうか。それは、「ビジョンとミッションの達成」のためということになるだろう。理想を掲げ、使命を達成することが会社の目的であり、そこに共感して集まってきたのが社員である。だから自分自身がその目的完遂のじゃまになるなら、去らなければならない、ということである。米国は、理想(独立宣言・合衆国憲法)を掲げてそれに共感するものが集まってできた「国」であり、国家全体がその哲学のもとに動いている。

日本人はそういうメンタリティはい。極端にいえば会社がどんな理想をかかげて、なにが目的かなんて興味がない。しかし、いまの上司には世話になっているし、会社には飯を食わせてもらっているのだから、それに値する奉公をするのが正しい道と考える人が多いのではないだろうか(一生奉公すべきか、もらった分だけ返せばいいと考えるかは意見が分かれるところだろうが)。また経営陣はそんな社員を養う義務がある。

ここで、米国は合理的で、日本は人情=非合理的と考えるのは間違っていると最近思うようになった。
むしろ、あえて正反対であるという論を掲げてもよい。
まず米国流が非合理的である理由を述べる。それはこの「ビジョンとミッション」それ自体にある。米国では「ビジョンとミッション」を作り、実行に移す起業家が尊敬を集めるが、じつはビジョンとミッションとは単なる個人の身勝手で、実はなんの合理性もない。ビジョンとミッションにこだわり抜き、社員全員でそれを共有することが大事であると経営学MBAなど)は説くが、その「こだわり」ようは合理性のかけらもない。たとえば、The Body Shopは、創業者が「環境と人体にやさしい化粧品」にとことんまでこだわり、全社員、全店舗でそれを徹底させたことが成功の秘訣であるとか、Apple社は、ユーザーの立場に常にたった技術革新を先導するというこだわりを持っていてブレがないとか。ブレがないのは、すわなち創業者の信念だからだ。そして、このビジョンに合理性があるかは「検討されてはならない」。市場調査をして後付けされたビジョンは、安っぽいものであり、組織が困難に直面したとき、ばけの皮がはがれるからだ。ビジョンとは、それくらいみなが「心から信じられるもの」でなければならない。

ビジョン自体に客観性は必要ない。そしてそれを検討しないのは、独立宣言にも見て取れる。
「私たちは以下の事実を自明のものとみなす。それは生命、自由、幸福の追求・・・」
自明=Self Evident、すなわち、証明の必要がない、とね。

アメリカ国家のビジョンであるFreedom(ブッシュによって乱用されネガティブイメージがついたか)、Hope(オバマがつかった)、ともに合理性はない。だから強いし、怖い。日本人がアメリカの組織のやり方に対してなにかしら「胡散臭さ」を感じるとすれば、正体はこのあたりにあると考える。いいビジョンは多くの人に受け入れられる可能性を秘めているが、「すべての」行動基準を、そのビジョンにゆだねる姿勢が日本人には理解できない。

アメリカでは、ビジョンとミッションの達成こそが、組織の求心力になる。しかし、それを日本に持ち込むのはむずかしいだろう。